答えを欲しがる受講生・形を求める研修発注者!?

間違いなく、早く楽に到達できる答えを欲しがる受講生

4月の怒涛の新人研修が、ある程度落ち着いた頃。これから5月~6月と、やや専門的な教育に移っていく時期。ただ、コロナの状況がやはりこの仕事は大きく影響を受けています。急遽方法や日程変更、そして延期や中止など、だいぶ慣れてはきましたが、未だに大変といえば大変ですね。

さて、20年近く企業の人材育成の世界に居て、毎年色々なことを感じます。今年も、この新年度に、色々な現場からの声、私も実感したことを、ここでまとめてみたいと思いました。

 それは、タイトルにも書いた

「答えを欲しがる受講生」 そして「分かりやすい形を求める人事、研修発注者」という点です。

受講生側は、答え、正解、早いやり方、正しいルートなどを求めてくる傾向が近年、より高まってきたと感じます。研修を行っていていも、あまり深い議論やモノゴトの裏側、背景、なぜそうなったのか、という部分はあまり突っ込まない、考えたくない。それよりも、失敗しないやり方、間違いのない回答、一番ラクに早く到達できるルート、、、そういったことにより関心が高いなあ、、、と感じるのです。

実施側も安易な研修企画を立てていないか?

そして、受講生だけでなく、研修を企画する側、発注する側にも、そこ大事?と感じることがあります。例えば、持ち帰れるフレームワークだけ集中的に教えて欲しい、受講生を眠らせないようにするためにワークを入れてください、企画書のカリキュラム(アジェンダ)は上に通しやすいように分かりやすいキーワードを沢山盛り込んでください、、、、こういった、なにか目的とは違うことにフォーカスして研修を企画していないか?と感じる事も少なくありません。

お互いに「研修ごっこ」をしていないか?

しかし、両者を通じて感じることは、なんだか「研修ごっこ」をしているのではないか?と感じるのです。受講生も、やり過ごす、正しい答えをこの場では言っておけばいいのでしょ、という空気感、そして、企画実施側も、やること自体が目的化しているような、本質からズレているような、感覚が私には感じられる時があります。

せっかく、普段の業務を離れて、違った角度から新しい知識スキルに触れたり、普段考え抜く機会がないからこその貴重な機会、違う部署や年齢の方との意識の違いから気づく機会、そういった総合的な(どこに学びが潜んでいるか分からない偶発性も含めて)学びの機会であるはずなのに、と思うのは私だけでしょうか。

この問題の根は深いな、とは感じます。

もちろん、受講生の気質や育った環境なども原因にあるかもしれません。

研修実施側も時間もお金もない中、さらにコロナの中でも必死に学びを実施している中だから、と考えることもできます。ですから私は、単にこれは受講生や事務局だけの問題とは捉えたくありません。もっと、本質的な課題を感じるのです。

こうした研修ごっこの要因は?

そもそもは、本質的に考える機会である、意味や背景、その影響などを考えることが、仕事の現場から失われつつあることも原因の1つだと思います。あまり深く考えずとも、細分化された仕事でマニュアルや先輩、あるいはITツールなどに従って業務をこなしていければ、そこそこの仕事ができてしまうこと、これも一因でしょう。

そして、やはりこれも根深い原因ですが、会社から失敗やミスを許す、許容する風土、環境が失われつつあることも大きいと思います。人事評価が相対評価であったり、コンプライアンスなどの遵法が昔以上に厳しくなったなどの要因が、ミスを許さない、つまり「間違いなく、効率的に答えを」という空気感を生んでしまっているのではないか、と感じるのです。

また、コロナによるリモートワークの環境も影響を与えているのでは、と感じます。上司と部下、社員同士がフェイスツーフェイスでお互いを知る機会が失われ、良いところも悪いところもお互いに深く理解し合う機会が失われており、褒めることや叱ることもしにくい状況を生んでいるのでは、と感じます。

より本質的なことに踏み込んでいく機会に

ただ、私はプログラムの中に、モノゴトの意味や背景を考える機会を仕込んだり、ワークなどでも正解のないことを問うたり、ミスや失敗をどう学びに活かしていくのか、といった「より本質的に考える機会、気づく機会」を作っていく、カリキュラムに忍ばせていく、そういったことが可能なのだと思います。

 特に、若手の受講生の場合には、「ここは学びの場なので、失敗してもいい場なのだ。正解という結果より考えるプロセスが大事なんです」という前提をお伝えすることが最低限欠かせないと思います。彼らの場合、悪気なく知らなくて自然とそうしていることも多いのだ、そんな経験を私もしています。

受講生にすぐ答えを渡さない

研修企画者もより本質的なことを考える機会としていく

講師も、本質的なことを追求する機会である、と笑顔を交えて受講生に
より建設的な機会を提供していく存在でありたい、そう考えています。